ボクを構成する9本のゲームと、それに紐づく9つの思い出
コウノ アスヤ(@asuyakono)です。
Twitterで「#私を構成する9枚」というハッシュタグが流行っています。これは、音楽好きがCDアルバムを列挙するものなんですが、ちらほらゲームでやってる人がいたので僕もやってみようと思います。
ゲームよりも思い出や感情が先に出てくる
私を構成するゲームなので、ゲームそのものの紹介というよりは、そのゲームと共に思い起こされる原体験みたいなものをメインに書きました。以下、それぞれのゲームと、それにまつわる思い出です。
トゥームレイダース
まだ5歳だった時、夜中トイレに起きた僕は、父の仕事部屋から漏れる光に気付いてそっと中を覗きました。そこには、いつもは使われてない小さなテレビに向かう父の背中と、森の中を駆け巡るタンクトップのお姉さんの姿が。「眠れないから見とってええ?」とお願いした僕に、父は「眠れるまでじゃからな」と言って、怒ってるのか喜んでるのかわからない表情でゲームを遊び続けました。僕はその日から父の遊ぶトゥームレイダースの虜になり、暗い廊下に差し込むドアから漏れる光に出会う度、ゲームの世界と僕をつなぐドアをくぐり抜け、父さんとララクロフトの冒険を応援しに繰り出すのでした。
ポケットモンスター緑
4つ年上の姉は赤バージョン、僕は緑バージョンを買ってもらいました。姉弟でバッジの数を競い、沢山のポケモンを交換しました。自分はゲームを遊ぶくせに子供にはあまりゲームをやらせない父親が(一通り流行った後に)やっと買ってくれた初めての自分専用のゲーム。夢中になって小さな白黒液晶を眺め続けました。冒険、努力、攻略、友人、交換、そして物語の終わりを楽しみ尽くした僕は、完全にドアの向こう側にいて、もうゲームの世界から戻って来られなかったのでした。(闇)
星のカービィスーパーデラックス
狂ったように2人プレイを遊んでました。「カービィやりに泊まりに来いよ」といって、友達とクリア率100%合宿を実施したりして。夜遅くまでゲームをしていると起こってくる両親も、友達が泊まりに来た時だけは「眠くなるまでやっていいよ」と言ってくれてのが印象深い。なぜか電気を消して暗い部屋でゲームをして、勝手にわくわくしてた。クリア率100%になると、刹那の見斬りとメガトンパンチでひたすら勝負して、気がついたら寝ていて、「朝ごはんよ」と起こされるあの瞬間。(ほぼ)徹夜ゲームの旨味を知ってしまった5,6歳の夏
ゼルダの伝説 時のオカリナ
スーパーファミコンはなぜか姉の所有物だった我が家において、ニンテンドー64は僕が買ってもらった初めての自分専用の据置ゲーム機。そして時のオカリナは、そんな”ロクヨン”と同時に買ってもらった初めての一人用据置アクションRPG。コキリの剣を入手するまでに3日ぐらいかかったし、ゼルダ姫とマロンどっちをお嫁さんにしたいかで1人悩んだっけ(この時点でオタクのきらいアリ)。マスターソードを引き抜いて、大人になった僕の隣で母が洗濯物を畳んでたのはすごい覚えてます。水の神殿で詰まっちゃって3ヶ月ぐらい放置したのだけど、それを見かねた父親が攻略本をかって来てくれて、一緒に遊んでくれたのは嬉しかったな。
ファイナルファンタジー8
幼かった僕はナンバリングの概念があまりなく、FF8=ファイナルファンタジーという感覚で遊んでいた。すましたクール系主人公といえば、僕にとってはクラウドよりスコールでした。彼らのちょっと大人な人間ドラマはまだガキンチョだった僕には100%理解はできていなかったはずだけど、宇宙空間を漂うリノアを、僕は本気で助けようとしてた。デュアルショックは手汗でベトベトだったと思う。かなり恋愛色が強いストーリーだったので、なんかオマセな気分になれたのも良かったのかもしれません。
チョコボの不思議なダンジョン2
何故か2しか遊んだことがない。不思議のダンジョンシリーズは、攻略に脳の柔軟性が求められます。覚えるだけではクリアできないから、いい意味で攻略脳が鍛えられた気がする。序盤から登場するシロマという白魔道士が死ぬほど天使で可愛くて、雪山の上の方で一旦お別れになるシーンはメチャクチャ寂しかった。FF4の愛のテーマアレンジがかかっちゃったりして、おセンチになったなぁ。
大乱闘スマッシュブラザーズ
実を言うと、64は持ってたけどスマブラは持ってませんでした。どれだけお願いしても両親が買ってくれなかったから。仕方ないので、僕はスマブラを持っていた友達の家に通いまくり、毎日の用にリンクを使ってバトルした。全キャラつかって、どんな友達にでもほぼ勝てる強さになった頃には、友達の母親に「また来てる…」と悪態をつかれるレベルにまで達していた。通い妻ならぬ、通いスマ。マリオクラブというテレビ番組で青カービィ使いに惚れてしまい、青カービィを使いまくったのはいい思い出。
CLANNAD
高校1年生の僕は部活に入っておらず、暇を持て余した結果「涼宮ハルヒの憂鬱」を見てしまった。これが黒歴史の始まりです。その後、立て続けにらき☆すたとCLANNADを鑑賞した僕は、どうやらCLANNADはゲームが原作であるという情報を得ました。生まれて初めてのギャルゲーでした。「ギャルゲーなら、朋也と杏が結ばれるルートがある!」と喜んでプレイしたが、あまりのドロドロシナリオにどっと疲れえてしまったのを覚えてます。次の日学校の授業はフル居眠りで、頭の中では「潮鳴り」という曲がリフレイン。ちなみにAFTER STORYで初めてゲームで泣きました。
ファイナルファンタジー11
中学3年生の時の音楽の先生がFF11を遊んでて、ネトゲに興味ありまくりだった当時の僕は、何故か先生にPS3を買ってもらってそのPS3にFF11をインストールして遊ぶという意味不明な事をしていた。先生は既にレベルがカンストしてたので一緒に遊ぶのは忍びなく、仕方なくソロでウロウロしてたら速攻でゴブリンに殺されかけました。シャウトという機能で近くの人に大声で「ポーションってどこで買えるんですか」と聞いて回ると、親切な人が案内をしていくれた。そのままその人の所属するリンクシェル(ギルドのようなもの)に入れてもらうまでの流れは、ネトゲとしては最高の体験だったと思います。本名をモジって「アッシュ」という名前で遊んでいたのだけど、リンクシェルの長(既婚女性)から「あしゅたん」と呼ばれてなんかニヤニヤしてた。キモい。
え、選びきれねえ!
これ、時期や環境によって9本がころころ変わってしまいそうですね。それはそれで良さそうですが。
ファミコン世代(3~40代)の人たちよりは、少し新し目のゲームが多めでした。メジャーなゲームが多いのも「中々ゲームを買ってもらえない&メジャーじゃないと買ってもらえない」というコンボが炸裂した結果だと思います。父さん、自分の棚にはめっちゃゲームソフト入ってたのに。笑
思い出してみてとても楽しかったです。あなたを構成する9本のゲームはどんなゲームですか?そして、そのゲームにはどんな思い出が詰まってますか?