究極のドット絵が織りなす、空駆ける冒険譚─2Dアクション「Owlboy」レビュー
「お前は出来損ないだ!何もするな!」
そんなセリフをぶつけられるところから、本作「Owlboy」は始まる。このシーンはチュートリアルも兼ねており、まだ操作がおぼつかないプレイヤーと不器用な主人公を重ね合わせた見事なゲーム的ストーリーテリングだ。美麗なドット絵と共に辺境の村でやりとりされる師匠アシオと弟子のオータスの一幕は、ここから過去と未来、世界全体をも巻き込む壮大な物語へと拡大していく。
思えば、遠いところまできたものである。たった10時間にも満たないプレイ時間のなかで、僕は確かに世界を救ったのだ。
Owlboy
行きすぎたフクロウの文明が一度滅び、あらゆる大地が天空に浮かぶ世界。声を失ったフクロウの少年オータスは、辺境の村「ヴェリー」を突如として襲撃してきた機械仕掛けの海賊「スカイパイレーツ」を追って、人間の友人ゲディと共に旅に出る。
記事の冒頭で言及したテクニカルな導入に加え、美麗なドット絵とヌルヌル動くアニメーションで畳み掛けてくる序盤の展開に、僕は息を飲んだ。ドラクエなどに見られるストーリーテリングの手法としての「無口な主人公」を、そのまま「声を失った主人公オータス」という設定に重ね合わせている。物語はなぜオータスが声を失ったのかという彼の内面の問題と、それによって迫害まがいの境遇に陥っている彼を擁護する友人ゲディのとのコミカルな会話で進んでいく。なんというゲームだこれは。プロの犯行だ。プロはプロでも弩級のプロである!
話を戻そう。Owlboyは、ノルウェーのゲームディベロッパーD-Pad Studioによる、探索型の2Dアクションゲームだ。移動・攻撃・マップの探索といった要素だけを見れば、いわゆるメトロイド・ヴァニアとよばれるジャンルにカテゴライズされる作品だが、テキストベースのRPG的ストーリーテリングと空を自由に飛び回れる点において、遊び味が他作品とは若干異なる。
迫真のドット絵、それに負けない歯ごたえ
見ればわかる通り、Owlboyはファミコン〜スーファミ世代全盛期を体験したゲーマーの美的ノスタルジーをピンポイントで狙撃してくるアートワークを備えているが、肝心なのは、これが「見掛け倒しではない」ということだ(残念ながら近年、見た目だけ良くて中身はチューニング不足というレトロフィーチャーゲームが増えてきている)。
一見するとオーソドックスな横スクロールゲームに見える本作だが、射撃がメインの攻撃手段と、自由に空を飛びまわれるというシステムのおかげで、メトロイド・ヴァニアでありながら、ある種シューティングゲームのような触り心地をプレイヤーにもたらす。キーバインドのせいか操作性が若干快適ではないのが残念だが、マップ内を広々とつかった謎解きやアクションは、単純な横スクロールアクションよりもかなりメリハリの効いたゲームプレイになっていて、がっつり楽しめた。
面白かったのは、主人公オータス自身が攻撃手段を持たないことだ。旅を共にする人間の友人ゲディや、元海賊のアルフォンスを「掴み」、彼らが所持する拳銃や拡散中を使って敵を攻撃するという、絵面的にもかなりユニークな設計だった。
最終的には3人の仲間(と3種類の武器)を切り替えながら戦闘や謎解きをこなしていくことになるが、このあたり、メトロイド・ヴァニアでありながらパーティ制をとり、かつ「不器用なオータス」を仲間が補助する形になり、ストーリーの補強にもなっている点は秀逸だった。仲間になるキャラクター以外にも魅力的な登場人物は多数登場するが、それぞれが美麗なドット絵と性格づけで個性豊かにデザインされている。ストーリー進行とは関係ないが、マップの中心に位置するトロポスにあるブキャナリィのお店は、おまけ的な位置付けもキャラクターもクセになる存在感だった。
全体的に難易度は少し高めで、アクションゲームには慣れていると自負している僕ですら何回もゲームオーバーになったので、玄人ゲーマー向けの歯ごたえもバッチリだろう。
大作感がギュっと圧縮されたストーリー
本作のクリアまでの総プレイ時間は10時間も必要ない程度。それでいて、遊び終わった時の満足感は、何十時間もかけて壮大な旅を終えたかのような満足感だった。理由は明白で、Owlboyは、全体を通した物語の「キーポイント」しかゲーム内で描いていない点にある。
物語は、モルストロム船長率いるスカイパイレーツがオータスの住む村ヴェリーに隠された秘宝を強奪するところから始まる。秘宝は世界に3つ存在し、それらを揃えたものは「世界を作り直す」程の力を手にするというのだが、本作、なんと秘宝はすでに2つ奪取されており、さらには3つ目の秘宝が奪われる目前のところから物語が始まるのだ。
ゲーム全体のボリュームとの兼ね合いもあるだろうが、長々としたストーリーを排除してクライマックス直前状態からゲームが始まるのも悪くはない。物語が横道にそれることはないし、プレイヤーのモチベーションが低下しないうちに一気に最後まで駆け抜けられる。その分、各キャラクターの掘り下げが足りず、本来ならば感情的にグッと盛り上がるであるシーンでもどこか他人事のように感じてしまった点は残念な弊害だったが、個性豊かなキャラクター達の世界観の深みを感じるセリフの応酬によって、プレイ時間に対するナラティブ的満足度は相当なものだった。
なぜフクロウが人間と共存しているのか?機械仕掛けのスカイパイレーツはなぜ、世界征服を目論むのか?そもそもなぜ、大地は浮遊しているのか…。これらの謎は、物語の最後にすべて解明し、見事に回収されて終わる。是非とも、コンパクトながら濃厚な物語と世界観を、その目で確かめてもらいたい。
美しいサウンドトラックの中に散見される、浮いているチップチューン
タイトル画面で流れる一曲目から、「うっ!」と心の琴線に触れてくる懐かしい響き。ゲーム全体を通して流れるオーケストラによる劇伴は、どこかおとぎ話っぽく、ディズニー映画のような印象も受ける。非常に聴き心地のいいサウンドトラックであることは間違いないのだが、一方で、急にチップチューン風になったり、電子音が混ざる楽曲なったりするなど、どこかチグハグで一貫性がないように感じた。
後述するが、これは長い開発期間による方向性のブレが影響したのではないかと思われる。プレイ中にそこまで違和感を感じるわけではないのでが、Spotify等で配信されている本作のオリジナルサウンドトラックを聴いていると、いくつかの楽曲があきらかに浮いているのは明白である。浮遊大陸ならぬ浮遊楽曲である。
※念を押しておくが、楽曲自体はどれも素晴らしいものである。
10年という開発期間が成し遂げたもの
本作の開発がスタートしたのはなんと2007年なのだという。物議を醸したファイナルファンタジーXVも顔負けの10年という開発期間の最中には、様々な問題が発生していたようだ(ゲーム開発を救ったのは“捨てる勇気”! 名作インディー『Owlboy』が完成するまでの10年間)。
チグハグな音楽、圧縮されたストーリー(これは功を制しているとも言えるが)などからその影響を垣間見れるが、僕はなんというか、このゲームが、インディーゲームが市民権を得はじめた2018年に、同じくインディーゲームをしっかりフィーチャーしてくれるSwitchやPS4などの家庭用ゲーム機でリリースされたことには、ある種の運命を感じる。もし、PlayStation3やWiiの世代、まだインディーゲームがもてはやされていなかった時代に世に解き放たれていたら、今ほどの脚光を浴びてはいなかったのではないかとすら思う(完成度的な意味も含めて)。
大げさかもしれないが、そういう意味では、伸びるべくして伸びた開発期間によって、発売されるべき時代に発売された奇跡のゲームだとも言える。
驚くほど短いスタッフロールに少数精鋭の開発陣の影を感じてウルっときながら、僕は本作を発売までこぎつけたD-Pad Studioに敬意を表したい。願わくは、このゲーム愛に満ちた作品が、より多くのゲーマーの手に渡りますように。
Owlboyは、NintendoSwitch,PS4,Xbox One,Steamで配信中。